自分の中での「絶対」と「相対」について
2005/10/25/Tue
最近自分のなかで「いかに生きるか」という至上問題についてすごい変化がおきた。
それは自分の価値観を「絶対」的なものととらえるか、「相対」的なものととらえるか、です。
前者の方が「生きやすい」でしょう。自分が信じていることが「絶対」的に「正しい」とおもえばそれはこういう余計なことは考えずにすむ。
けどそれは自分にとって高校時代の制度の中の自分と何も変わらないとも思うのです。
特に今は学生という特権的な地位にいるわけですからマイノリティの意見はどんどん吸収したいし、マジョリティの意見の問題点をしらなければならない。
とにかく私はこれからも「柔軟」に「自己解体」をしていきたい!!!とおもうわけです!
まだ自分の方向が決まっていない分これからは「他者に写る自己」を考えていきたいです。今までは他者からの言葉に対して設定した「問題」を「自己」のなかで結構処理してたとおもうので、これからは問題の設定を「他人に写る自己」に基づいておこなっていきたいです。
まだまだ「相対」的に価値観を広げていけてうれしいです。立花先生をはじめ私にその機会を与えてくれた人に感謝します!!
それは自分の価値観を「絶対」的なものととらえるか、「相対」的なものととらえるか、です。
前者の方が「生きやすい」でしょう。自分が信じていることが「絶対」的に「正しい」とおもえばそれはこういう余計なことは考えずにすむ。
けどそれは自分にとって高校時代の制度の中の自分と何も変わらないとも思うのです。
特に今は学生という特権的な地位にいるわけですからマイノリティの意見はどんどん吸収したいし、マジョリティの意見の問題点をしらなければならない。
とにかく私はこれからも「柔軟」に「自己解体」をしていきたい!!!とおもうわけです!
まだ自分の方向が決まっていない分これからは「他者に写る自己」を考えていきたいです。今までは他者からの言葉に対して設定した「問題」を「自己」のなかで結構処理してたとおもうので、これからは問題の設定を「他人に写る自己」に基づいておこなっていきたいです。
まだまだ「相対」的に価値観を広げていけてうれしいです。立花先生をはじめ私にその機会を与えてくれた人に感謝します!!