初絶叫!!ぎゃー!!
2006/06/27/Tue
まりあが誰か分からない方は
ぅききさんの『広河隆一さん DAYSJAPAN万歳!!』のCOMMENT欄
をご参照ください。
私の通うK学院大学でぅききさんの紹介されていた広河隆一
のようなフォトグラファーでフィリピンの写真を撮ることを通じて
貧困問題を取り上げられている中井信介さんの写真展がありました。
「4人のフォトグラファーが世界各地の現実 中井信介 写真展」
という題でした。
今日、中井さんの講演会「フィリピンの人々」というのがあったのですが、どうしてもサボることのできない授業だったので、聴きに行くこと
はできませんでしたが、ご本人とお話しすることができたので、そのことと展示写真に添えてある説明書きから報告したいと思います。
フィリピンには1962年〜92年までの30年間、米軍基地がおかれていた。ちょうど今の沖縄のように基地があることでフィリピンでは米兵相手の商売や米軍委託の仕事で潤っていた。しかし、米軍が立ち去ってからというものただ儲からないだけではなく、米軍はたくさんの“忘れ物” をしていった。
例えば、米軍が基地あとに残したポリ塩化ビフェニール(PCB)などの有害物質。これが地中を経由して井戸水に溶け込み、飲んだ住民の間から脳性麻痺などの障害を持って産まれる子どもの出生率が高くなった。また、米軍はこのような有害物質を河川に垂れ流していった。その河口では住民が潮干狩りをしている。住民たちには米軍が去って10年以上が経つから汚染もましになっているように思われたかもしれないが、貝は生物濃縮(ある物質、特に分解されにくい有毒物質などが食物連鎖を経て消費者を受け渡されるうち、濃縮されてゆく現象をいう。)を起こしている恐れがある。住民はそうした貝を口にしているのだ。
他には米兵が滞在中にフィリピン人女性との間に子どもを作り、アメリカに一時帰国すると言ったっきり、音信不通になるケースが多い。そうした母子たちは豊かなアメリカに渡米するために子どものアメリカ市民権を求めているが、アメリカでは日本・韓国・ヴェトナムなどの東南アジアのように米系混血児に市民権を与えていない。市民権を認められるためにはアメリカ人の父親の認知が必要であるが、父親はすでにアメリカで家庭を持っていることがほとんどで認知は難しい状況である。
ミュージカル『Miss Saigon』という作品でもヴェトナム人の母子とアメリカ人という組み合わせでほぼ同じような状況が描かれていたが、現実を知るとミュージカルの問題提起意識の低さがよくわかる。
このほかにも基地撤退後にさらに深刻となった貧困の問題が数多く残されている。
「基地があった時は儲かってよかった」
と言ったのは、米軍基地から不発弾処理の仕事を請け負っていたある男の言葉であるが、彼はこの仕事中に一緒に働いていた自分の兄弟を不発弾の爆発で失ってしまった。しかし、彼が生計を立てるためにはこの仕事に戻るほかなく、死ぬか生きるかの危険な仕事を米軍が去るまでしていた。私たち日本人には死というリスクを冒してまでお金のために働かないといけないという状況が理解しがたいであろう。
中井さんの写真に特に多いのが貧困にあえぐ子どもたちの写真である。
学校の行き帰りにスモーキーマウンテン(廃棄場のゴミの山)から売れそうなものを探す子どもたちや、母親に命じられて花売りをする少女たち、ストリートチルドレンで物乞いをする子どもなどの写真が多い。政府がスモーキーマウンテンを別の場所に移すことになり、さらにその地域の最貧民層の人の生活を苦しめている。
最初に挙げた汚染による病気は立証することが難しいため、今なお裁判中ではあるがフィリピンの人に勝ち目はない。
東南アジアの国の貧困がアメリカと米軍基地によってつくられている事にほんと驚きました。フィリピンほど貧困が深刻ではないものの沖縄の米軍基地についてもとても考えさせられました。
私はこの大学に入学してから遊び呆けてあまりに何も考えていない学生に呆れきっていましたが、正門前の建物にある中井さんの写真展の前を
看板に見向きもせず、素通りして行くほとんどの学生たちに腹が立って腹が立ってっ!!昨日からイライラしどうしです。湯気がもくもくとたっています。もっとちゃんと自分の考察や感想を書きたかったのですが、とりあえずここまでにしておきます。
米軍大嫌いっ!!
ぅききさんの『広河隆一さん DAYSJAPAN万歳!!』のCOMMENT欄
をご参照ください。
私の通うK学院大学でぅききさんの紹介されていた広河隆一
のようなフォトグラファーでフィリピンの写真を撮ることを通じて
貧困問題を取り上げられている中井信介さんの写真展がありました。
「4人のフォトグラファーが世界各地の現実 中井信介 写真展」
という題でした。
今日、中井さんの講演会「フィリピンの人々」というのがあったのですが、どうしてもサボることのできない授業だったので、聴きに行くこと
はできませんでしたが、ご本人とお話しすることができたので、そのことと展示写真に添えてある説明書きから報告したいと思います。
フィリピンには1962年〜92年までの30年間、米軍基地がおかれていた。ちょうど今の沖縄のように基地があることでフィリピンでは米兵相手の商売や米軍委託の仕事で潤っていた。しかし、米軍が立ち去ってからというものただ儲からないだけではなく、米軍はたくさんの“忘れ物” をしていった。
例えば、米軍が基地あとに残したポリ塩化ビフェニール(PCB)などの有害物質。これが地中を経由して井戸水に溶け込み、飲んだ住民の間から脳性麻痺などの障害を持って産まれる子どもの出生率が高くなった。また、米軍はこのような有害物質を河川に垂れ流していった。その河口では住民が潮干狩りをしている。住民たちには米軍が去って10年以上が経つから汚染もましになっているように思われたかもしれないが、貝は生物濃縮(ある物質、特に分解されにくい有毒物質などが食物連鎖を経て消費者を受け渡されるうち、濃縮されてゆく現象をいう。)を起こしている恐れがある。住民はそうした貝を口にしているのだ。
他には米兵が滞在中にフィリピン人女性との間に子どもを作り、アメリカに一時帰国すると言ったっきり、音信不通になるケースが多い。そうした母子たちは豊かなアメリカに渡米するために子どものアメリカ市民権を求めているが、アメリカでは日本・韓国・ヴェトナムなどの東南アジアのように米系混血児に市民権を与えていない。市民権を認められるためにはアメリカ人の父親の認知が必要であるが、父親はすでにアメリカで家庭を持っていることがほとんどで認知は難しい状況である。
ミュージカル『Miss Saigon』という作品でもヴェトナム人の母子とアメリカ人という組み合わせでほぼ同じような状況が描かれていたが、現実を知るとミュージカルの問題提起意識の低さがよくわかる。
このほかにも基地撤退後にさらに深刻となった貧困の問題が数多く残されている。
「基地があった時は儲かってよかった」
と言ったのは、米軍基地から不発弾処理の仕事を請け負っていたある男の言葉であるが、彼はこの仕事中に一緒に働いていた自分の兄弟を不発弾の爆発で失ってしまった。しかし、彼が生計を立てるためにはこの仕事に戻るほかなく、死ぬか生きるかの危険な仕事を米軍が去るまでしていた。私たち日本人には死というリスクを冒してまでお金のために働かないといけないという状況が理解しがたいであろう。
中井さんの写真に特に多いのが貧困にあえぐ子どもたちの写真である。
学校の行き帰りにスモーキーマウンテン(廃棄場のゴミの山)から売れそうなものを探す子どもたちや、母親に命じられて花売りをする少女たち、ストリートチルドレンで物乞いをする子どもなどの写真が多い。政府がスモーキーマウンテンを別の場所に移すことになり、さらにその地域の最貧民層の人の生活を苦しめている。
最初に挙げた汚染による病気は立証することが難しいため、今なお裁判中ではあるがフィリピンの人に勝ち目はない。
東南アジアの国の貧困がアメリカと米軍基地によってつくられている事にほんと驚きました。フィリピンほど貧困が深刻ではないものの沖縄の米軍基地についてもとても考えさせられました。
私はこの大学に入学してから遊び呆けてあまりに何も考えていない学生に呆れきっていましたが、正門前の建物にある中井さんの写真展の前を
看板に見向きもせず、素通りして行くほとんどの学生たちに腹が立って腹が立ってっ!!昨日からイライラしどうしです。湯気がもくもくとたっています。もっとちゃんと自分の考察や感想を書きたかったのですが、とりあえずここまでにしておきます。
米軍大嫌いっ!!