おひさしぶりです!!
ほんとに長い間記事を書かずに申し訳ありませんでした!
いろいろと「考えて」いたのですが、頭の中があまり整理されていなかったのです、、、、、。(発信できるレベルに達していないという意味で)
今回はその長い沈黙の中での「成果」を書こうと思います。
以下、関西弁で書きます!!!(改めて読むとこっちのほうがしっくりくるんでww)
「人を何で殺してはいけないか?」みたいな妙な意味不明な質問したりしてた時期があったのはみんなご存知よな??
あれ書いた直後に「やっぱり自分ってまだまだ自分が特別」って思ってんねんなあーと実感して、ふがいなさをおぼえたんよ。あと、なんか本のいってることと自分の言説自体に対する「うさんくさい」もの(表層的にみえたという意味)を感じてしまった。
えらそうなこといってたくせに今までやってきた「読書」とか「行動」ってなんやったんやろって、、、、、、。
んで、一回発言するのをしばらくやめてみて「自分をみつめなおそう!」って自然と思うようになった!
一応いっておきたいんははじめっから「沈黙」しようと思ってしてたわけやないっていうこと。みんなのコメントが少なくなっていったのはショックやったけどww
(以前はなんかひとつするんにも「理由」とか「意味」とか「先のこと」ばっかり考えてたんやけど、最近は別にそんなもんなくても日々できるだけのことしてればいいんとちゃうかな、と思う。というか「先のこと」とかわかるわけないやろ!!ってことに気づいてん!)
その過程で色々みえてきたもんはあるんやけど、一番大きな影響をあたえてくれたんは次の二つの「事件」やったんでぜひ紹介したいです。
ひとつはルワンダの虐殺の中で生き延びたイリバギザさんの講演会で直接質問したこと、もうひとつは東京の和田中学校での「よのなか科」を見学したこと。
じゃあまず順をおって説明すんで!
はじめのイリバギザさんの講演は彼女の著作が日本で発売されたことの記念としてうちの大学で開かれたものなんやけど、その内容はこんな感じ。
ルワンダの虐殺を直接体験した者としてイリバギザさんとルワンダの大使を含むコメンテーターがそれぞれルワンダの虐殺の経緯と現状について講演をおこなうんやけど、やっぱり目玉は当然イリバギザさん。
彼女は虐殺開始以前にはいっしょに暮らしていた人々がその前日まで親友と思っていた人も含めて突然「敵」として自分をみるということを体験して、教会に逃げ込んで彼女とは違う民族の牧師さんにかくまってもらうんよ。狭いシャワー室の中に一ヶ月以上、六人くらいで隠れてて、その間はとにかく「怒って」たらしい。「怒り」の矛先は「人間をこうも引き裂いてしまう民族というもの」とか「うらぎった親友」とかいろいろあったらしい。
やけど教会からとうとう出れたときに彼女が悟ったのはこういう結論やった。
「怒り」では「憎しみ」を加速させ、結局争いがまた生じるから「怒り」を捨ててお互いを「赦し」あうことが必要なのではないか?自分はこれから世界のために国連職員として活動するんやけど、そのときに事態が変わらないからといって「フラストレーション」を感じないで「毎日自分ができること」をやろう。「フラストレーション」なんて感じてる暇はない!!!(その結果すごいことに彼女は自分の親戚を殺した人を一緒にすんでいる!!!)
上の結論を踏まえて質疑応答の時に俺はこう質問したんよ。
『今のメディアとか社会構造とかの問題にたいして私は「怒り」を感じる。ルワンダの虐殺の後でも人を「赦す」というのはすごいとはおもうし、「赦す」というのも個人の思想のレベルでは理解できるが、マイノリティ問題などの社会構造の問題において私は理解できない。あなたのいう「赦す」とはそのような、社会構造の問題においてはどのような意味をもつのか?』
てなわけのわからん質問を、かなり緊張して、教授が生徒よりもほかの教授あててめっちゃながながと質問させたせいで時間なくて、しかも俺の言ってることが緊張のせいで意味不明やったんかしらんけど笑いがおきてかなり発言しにくかったですww
イリバギザさんにはいいたいことをうまくは伝えられやんかったけど彼女は大体はいいたいことを察してくれたらしくて、こう答えてくれた。
「社会はすぐにかわらないからといってフラストレーションを感じてても無駄だし怒っててもしかたないから、毎日自分ができることをやってください!!!」
とりあえずここで感じたことを書く。
「怒り」って確かにわかった気になってたけど、なんか中身がともなってないのではないか?
自分の意見ってなんか立花先生をはじめとするNet-Mの意見や本にあわせてたとこないか?
マイノリティとか怒りとか抽象的な言葉で物事を理解した気になっているだけではないのか?本当に自分で議論しているのか?本の著者の意見をそのままつなぎ合わせて適当にしゃっべっているだけではないか?
俺がこのとき感じたのはこんな感じ。
次は東京の和田中学の「よのなか科」の見学。
この授業は民間出身の藤原和博校長が教育改革の一環としてはじめたものなんやけど、内容がめっちゃこい!!この授業の趣旨は「暗記ではない自分で考える力」を鍛えること!
こん時は「ホームレス問題」やったんやけど、まず生徒にディベートをさせる。議題は「ホームレスは街から排除すべきか否か?」
普通の「平和教育」とか「同和教育」とかとこの授業が違うのは「とにかく生徒に自分の意見を言わせること。」
現にこういう発言があった。
「ホームレスなんか邪魔だから山に隔離すればいい!!」とか「なぐってもええやん!」とか。
普通やったらここで大人が「そんなんいったらあかん!!!」とかいうんやろうけど放置。冷静に周囲の大人はみてるだけ。
ディベートのあと、新宿公園の「ホームレス」への活動を行っている、世界を炊き出ししてまわった(!)という人と本物の「ホームレス」が生徒の前でしゃべる。このとき生徒は「おいおい、本物かよー!」みたいな好奇の視線で彼らをみてた。
そのあと、二人は退出し藤原校長が「ホームレスというレッテルを貼り付けて人をみてしまうと結局マイナスイメージで捉えてしまう。勘違いしないでほしいのは探してもほんとに仕事がなくてそうなった人だけじゃなくて自分が好きでなった人もいるということ。大事なのはホームレスと呼ばれる人を「ホームレス」として理解するのではなく「ひとつの人格をもった」「人間」としてみることだ」というと、生徒たちは授業以前とは違った顔してた。
このとき思ったことは次のとおり!
自分が受けてきた「教育」ってこんなんやったっけ????
暗記ばっか、与えられた「正解」にたどりつくんは得意でも「自分で考える」となると全然だめな人間育ててるだけとちゃう?
その中でトップでそれで「頭がいい」って思ってた自分ってなんなんやろ?
このまま詰め込み教育ばっかやってたら世界はどうなるんやろ?
以上長々と自分の体験について書いたけど、上みたいなことが主な自分に対する「問い」やった。
突き詰めると
「自分の言葉」で考えているか?
ってことになると思う。
インプットした「理論」にそう様な形で「世界」をみてた(今でも常に気をつけとります)んやろうなー。
つまり理論とは「目の前の世界ありき」で生まれるのにインプットばっかりしてて「理論ありき」で世界をみてたんやと思う。
ただ今は自分で「考える」ということがすこしずつやけど「自分の言葉」になってきてる気がするんよ。
「考える」とは
はじめは一人よがりかもしれやんけどあくまで「自分の言葉」
を使って
いろんな人と接すること!いろんなことを実際に行動して経験すること!本を読むときも常に自分で「ほんとにそうかな?」って思いながら読むこと!!抽象的な言葉はできるだけ使わないこと!
を通して
「自分が発する言葉の向こうには必ず一人一人違う多様な他人が存在するし、社会的地位が違ったりするので完全平等の地平から考察できないが、同じ人間として、常に他者や社会を考えない学問というものは結局自己満足の世界に陥ってしまう」
ということをちゃーんと意識した上で
「自分がその立場やったら、、、」とか「どうやったら状態をよくできるやろうか」とかいうこと
に対して想像力を働かせて
(スーザン・ソンタグが言う「倫理的想像力」はこれをさすんとちがいますかな?というか学者さん堅い言葉使いすぎやねん!!!ww)
他人の意見・批判をしっかり聞きながら「自分の言葉」に従う
こと!!
今の時点での結論は上みたいな感じやね!!
こういうことを意識してしゃべるようになるとほんまに「気持ちいい!!!」これも一種の「自己解体」かなあ?
ただこういう「気持ちよさ」を感じながら発したメッセージっていうのは相手もわかるようでそれ相応の反応してくれる!
イリバギザさんの講演会でおれが質問してるとき、「怒り」という言葉を発した瞬間特に笑われたので自分的にはけっこうへこんだ。そこにいた人らはなんで「怒り」を感じやんのやろ??って。いきなり「怒り」とかいったら妙に思われるかもしれやんけど、あの時の笑いは確かに議論にユーモアというよりは人を見下す感じやった。その前の「人権を信じますか?」とか「スーダンの虐殺がおこったあともあなたはまだ平和共存を信じますか?」みたいな答えがわかりきった質問よりもましやと思うんやけど、、、、。ほかのもそう思うんやけど講演会って自分で「考えて」質問するっていうよりはなんか教科書的な質問をして「確認作業」してることって多くない?あのときは確かにつたない質問ではあったとは思うんやけど、自分の持てる力で質問したで!
その証拠にイリバギザさんはおれの質問のときにはエネルギーをもって答えくれたし。やっぱり「自分で考えた」質問には「自分で考えた」答えを返してくれるんやね。
てな感じでした!
ただ強調したいのはNet-Mをふくめて俺の周りの人らがいてなかったらこういう風に考えることはできやんかったっていうこと!
ほんまにみんなおおきに!!
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